やさしさによる弊害
どうも、うつぶきです。
今回はやさしく接する事が果たしてよい事ばかりなのか、逆にやさしいことによって辛くなる事もあるのではないかといった、やさしさによる弊害について触れてみたいと思います。
普段から、人間関係を築くにあたり、相手とやさしく接する事自体は全く悪い事ではありません。
むしろ、周囲と笑顔で社交的に過ごせるほうが関係も円滑になりやすいですし、協力し合える関係も築けます。
また、周囲にやさしく接し、困った時に助ける事により自己肯定感が増し、自己承認にも繋がりやすいので生き生きと過ごしやすいです。
しかし、周囲にやさしく接しすぎると、様々な弊害や体調不良を引き起こすきっかけにもなりやすいのが事実です。
まず、周囲にやさしくするということは基本的には相手に与える立場になります(Giver)。
人に貢献する事は、先程述べたとおり自己肯定や自己承認に繋がりますが、これをやりすぎてしまうといくつかの弊害を受けます。
ざっくり箇条書きすると、
・周囲の目が気になり、自分のやりたい事が出来なくなる
・その貢献を利用する人間に囲まれる(Taker)
・自己承認欲求がさらに強くなり、本人の許容量を超えた相談を受けてしまう
・相手の相談に乗れなかった時に、自己卑下に襲われる
・曲がった事が許せなくなり、組織のグレーな指示に反発し上司との関係が崩れる
というわけで、自分よりも周囲を意識した生活になってしまいます。
確かに、仕事、特に雇用者に雇われている身は基本的に問題解決に従ずる事が多いです。
そういった問題解決に対して貢献し、周囲からの感謝や賞賛を得ることで仕事をする喜びを得るものであるとは思いますが、その時その時のスキルの限界というものもあります。
その限界を超えてしまった時、自分の意志で行動する意思が徐々に欠如し始めます。
自分の意志が欠如すると、自分軸が崩れ始めてしまいます。
その自分軸を失うことで、周囲を過剰に意識し始めたり、何事も他人に依存するようになったり、最悪生きる事が嫌になってしまうことさえありえます。
「やさしさ」というのは単純に相手に従順する事だけがやさしさではありません。
可能な範囲を超えている時は正直に断ったり、時に厳しい意見や誤った行動に対して叱る事もある意味やさしさに入ります。
また、逆に自ら相談したり救援を求める事も相手との関係を結ぶやさしさとも取れるのではないのでしょうか。
やさしい人で自分軸を失ってしまった人のもう一つのタイプとして、何でも自分ひとりで抱え込んで解決しようとしてしまうことです。
実際仕事をする上で、そう簡単に一人で完結できる仕事は存在しません。
大抵の仕事は、周囲の協力を得て達成するものです。
もっともっと周囲に頼って良いんです。
周囲に頼ることによって持ちつ持たれつの関係が生まれます。
そして、更に周囲と明るくやさしく接する事が出来るものです。
しかし、仕事を一人で抱え込んでしまうと、まず、逆に周囲が心配します。
つぎにもし完遂できなかった時に、相手に信用を失墜した気分に陥ります。
最後にこの失敗の経験から次の失敗が怖くなり、周囲とのコミュニケーションを恐れ始めてしまい、職場に行く事に憂鬱を覚え始めるわけです。
いかがでしたでしょうか、決して周囲にやさしくすること自体は否定しません。むしろ良い事であると今でも思います。
しかし、やさしくするにも許容量があり、それを超えてしまうやさしさは逆に自分の首を絞めていると言うことに繋がると言うことです。
では、最後にメンタルを傷つけずどういったやさしさを与えていけばいいのでしょうか。
・小さな貢献をこまめにやる
・相手も感謝でき、本人も達成感を得る互いに幸福を得られる貢献をする
・自分の職務を超える許容量を超えた相談は丁重に断る
何より、自分に余裕のある貢献をするということです。
逆に言えば、自分に余裕が無ければ一旦やさしさから身を引くことも大事です。
また、ずっと自分に余裕が無いから人に貢献なんて出来ないと言う方もいらっしゃるかもしれません。
それなら、まだ人にやさしくするタイミングではないと言うことです。
何よりも、まずは他人よりも自分に優しくなれるように過ごしましょう。
自分にやさしくなれない人は最終的に人にもやさしくなれなくなるものですから。
今回は以上です。
次回もよろしくお願いします。