うつ病と甘えの認識
どうも、うつぶきです。
今回はちょっと社会に対してネガティブな話をさせていただきます。
うつ病の方はよく無理解な人間から、「甘えている」とか「努力が足りない」、「我慢が足りない」と言われ、さらに辛い思いをしていると思います。
私も、真面目で我慢強いとは言われるものの、甘えていると言われ続けていました。
本来、うつ病の人は普通の人より人一倍頑張っています。それだけ普段から真剣ですし、むしろ適当に行動をする事が出来ない人が多いと思います。
なのに、人からは甘えとか言われてしまうわけです。
なぜ、無理解な人間にとって、うつ病は甘えと見えてしまうのでしょうか?
そもそも無理解な人間にとって、相手のどの部分について甘えだと思っているのでしょう?
恐らく、社会の生活の仕方に順応できていない人をひっくるめて甘えといってるのではないでしょうか。
確かに、「働かざるもの食うべからず」という言葉の通り、働かない人間はお金を稼ぐ事ができませんし、憲法でも「勤労の義務」がありますから、働く事が当たり前だと言う解釈なのでしょう。
それでも、社会は資本主義社会です。日々競争し、居場所の奪い合いのような生活を強いられていると思います。特に今は全員が全員健全な環境で仕事が出来ない状態です。
この競争ではじき出された人間は気力を失い、普段の生活すらままならない状況に追い込まれ、うつ病を患うわけです。この境遇に立たされている人に、さらに甘えだというのは正直いじめのレベルです。
うつ病になってから、復帰するといくつかの選択肢を迫られます。
・今の職場で我慢し続ける
・職場で仕事ができる人のやり方を学び、仕事のしかたを一から学びなおす
・自分の能力が発揮できる場所へ移動する、もしくは転職する
療養する時間を与えられながらも、その先に待っているのは更なる我慢や努力です。
結局今の日本は社会に対する適正があり、完全なる弱肉強食の世界です。
その中で、うつ病を患ってしまう人は社会で生きることに対して大きくハンディキャップがあると考えていいと思います。
そんな不利な状況の中で、我々うつ病を患う人はどう意識していけば良いのでしょう。
自分らしい生き方を見つければいいんです。
自分が今の状態で超えれるハードルを飛び続け、自らの裁量で理想の自分像へむかって少しずつハードルを上げていけば良いのです。
うつ病を患うほどの真面目な人間は、一度波に乗ればコツコツやる事に苦はない性格です。
自分らしい道を見つけ、自分のペースでコツコツ精進する。
このパターンに当てはまる生活が出来るようになれば、うつ病を逆に自信に繋げられるのかなと思います。
この意識を持った上で復帰後の生き方を考えればいいのです。
最初も言いましたが、皆さんは一度も甘えていません。なかなか自信を取り戻す事は難しく、生活を改善する事に希望をなかなか見出せないとは思いますが、お互い手を取り合って明るい未来を目指しましょう!
おわり