うつぶき ~うつを克服し、その経験を力に変える~

うつ病・不安障害で療養中の私が、発症して感じたうつ病に対する考えや、うつ病を乗り越えるために自分が今実践している事、たまにはただのプライベート日記など、同じ病気と戦う方々と共に乗り越えていくための記事を綴っていきます。

忍耐と我慢の境目について ~ 我慢とうつ病の関係について

どうも、うつぶきです。

 

今回は、「忍耐と我慢」について考えてみたいと思います。

 

 

以前のツイッターで、精神弱者に対する社会の厳しさといった表現をした際に、うつ病になる人は耐えて耐え続けた、精神の強い人ですという指摘を受け、確かにそうだなと納得しました。

 

そこで、忍耐、および我慢ってどこが境目なんだろうと疑問に感じたため、自分が感じていた事も含め、見解を綴ってみたいと思います。

 

一旦「忍耐」と「我慢」について意味を調べてみましょう。

 

「忍耐」

つらさ・苦しさ・怒りを、じっと我慢すること。たえしのぶこと。

「我慢」

辛い事を耐え忍ぶこと。こらえて許すこと。

Googleより抜粋

 

こうやって比べてみると実際、忍耐と我慢ってほとんど変わらないのかなと思います。

当初私は、忍耐は成長のために逆境にたえる事、我慢は理由もなく一方的な負担を押し込める事のような捉え方をしていたため。忍耐はポジティブな行動、我慢はネガティブな行動と捉えていたと思います。

 

しかし、意味を調べた結果、どちらにしろ「耐え忍ぶ」事に変わりありませんでした。

 

せっかくなので「耐え忍ぶ」の意味も調べてみる事にしました。

 

「耐え忍ぶ」

つらさ・苦しさを、じっと我慢する。

Googleより

 

結局忍耐と我慢と耐え忍ぶが完全に共通の意味となってしまいました。

 

結局忍耐と言い聞かせて、こらえ続けている事も結局は我慢の一種であるわけで、何も変わらないものだと思いました。

 

-----  ここからは忍耐と我慢と言葉を使い分けず、我慢で統一します。  -----

しかし、我慢によって更なる成長に結びつく人と、うつ病を患ってダウンする人に分かれているのが現実です。この違いは何なのでしょうか?

 

 

①自分の夢や目標など、目的の為の我慢であるか

どうしても、スポーツの世界とかで活躍する人たちの我慢が美化されすぎて、一般人は我慢していないように見えてしまいます。しかし、多少の大小はあるものの人が抱える我慢自体はそれほど差が無いと思っています。

今後の自分のための我慢であれば、それは我慢から努力に発展します。自ら望んで立ち向かうので、その逆境を乗り越えるモチベーションもあれば、乗り越えたときには更なる大きな力へと変貌していきます。

 

しかし、特に小さいころの親や先生からの押し付けや虐待・いじめに対する我慢は自ずと与えられた逆境です。しかも自ら望んだ逆境でもないため、結局超えられる可能性は下がり、超えられなかった人は自分の中で我慢のまま抱え込んでしまうわけです。そのまま、社会人になってしまえば、我慢の許容量は他の人よりも少なくなるわけで、ちょっとした逆境も我慢ができず、うつ病を患ってしまうわけです。

 

 

②我慢から遠ざかる事ができるか

先程のような自らの目標のための我慢であれば何も問題は無いですが、このような我慢のしかたができる人はなかなかいないのも現実だと思います。

そこで、次に自ら望まない我慢に対する対処能力で差が生まれるのかなと思います。

 

以前にチラッとDaiGoさんの過去の話をさせていただきました。彼は小学生から中学2年生まで学校でいじめを受けていたそうです。しかし、中学2年のときにある事をしていじめを受けなくなったそうです。

確か、図工の時間でナタか小刀か忘れましたが、刃物をいじめっ子に投げたそうです。それにより怪我を負わせることはなかったですが、それ以来、危ない人間と思われ、依然腫れ物扱いではあるものの、直接ないじめはなくなったそうです。

これを期に、周囲からの圧力に我慢せずに行動するようになった結果、科学を徹底的に勉強して、メンタリスト→ビジネスマンへと変貌を遂げています。

 

このエピソードから言えることはDaiGoさんは自らの行動で我慢から遠ざかったわけです。それにより、自由を勝ち取り、望む道へ進んでいったと言うわけです。

 

これはあくまでレアケースになってしまいますが、例えば社会人になってからも、多重の業務の押し付けやパワハラモラハラ、セクハラなどいろいろな圧力が襲ってきます。

 

-----  ここからうつ病に対する社会の現実についての話になります  -----

 

これらの我慢を受け止めてしまう人と、堂々と跳ね除ける人でうつ病を患う度合いが変わってくると思います。これに加え学生時代までの我慢を抱えこんだまま社会人になってしまえば、そりゃあうつ病になってしまってもおかしくないわけです。

会社は人材の過去については何も言及しませんし、過去に辛い思いをしていたとしてもドライに対応してきます。仕事さえ全うしてもらえるのであればどんな人格でも構わないわけですから。しかし、仕事を全うできない場合はいかなる理由でも冷たい待遇になってしまいます。理由は会社の貢献にならないからです。

そして、うつ病で休職する人材についてこう語るのです。

 

「我慢が足りない」「甘えている」「努力が足りない」と。

 

これが社会から見たうつ病者に対する待遇の現実だと思います。自社が与える負荷に耐えられなければ不要な存在になってしまうわけです。

 

実際うつ病を患う方々は、今まで本当に我慢してきた人です。私も思い返せば親を含めて出会った人の大多数に「我慢強すぎる」と言われたことを思い出しました。

 

しかし、会社は過去の我慢など人材の評価として加味しないどころかマイナス評価してしまっているのが現状です。

 

我々うつ病を抱える人にとって、この現実は受け止めるしかないと思います。

なぜなら、社会も自分を守る事でいっぱいいっぱいだからです。

 

そのためにも我々は何かしらの工夫をしながらこの社会と言う逆境を乗り越えていくしか無いのが現実だと感じています。

 

そのために我々がやる事は二つあります。

 

①社会に対する自分の限界を認める事

②辛かった過去を許す事

 

もし、今の辛い自分を乗り越えたいのであれば、いつかこの二つを実行する時が来ると思います。これを挙げた私からしてもものすごく辛い事だなと感じてしまうくらいですが、これらを実現するために長い間休養していると気持ちを切り替える事が出来れば何とかなることでもあるはずです。そして、この逆境を越えられたときはその辺の社蓄よりもはるかな行動力と思いやりを持つ事ができるようになるはずだと信じています。

 

本当に長く暗いトンネルをくぐり続けて一筋の光を目指す大変な事だとは思いますが、互いに何とか乗り越えて、うつ病を人生の武器に変えていきましょうよ!!!

 

 

おわり